手を伸ばす。
指を絡める。

―溺れる、溺れる、溺れる。



  パ ラ ノ イ 


しゃ、と衣擦れの音が狭い室内に響いた。

抵抗する間も与えられずに掬われた体が乱暴に落とされる。
体の下敷きになった学ランに、ぼんやりと、ああ、皺になるな と心の中でごちた。
フローリングの床の上――もっと言ってしまえば資料室の中。 掃除なんてダルい、なんて言って当番が適当に手を抜いてやっているのだろう、床の上は埃だらけ。 唯でさえ余り掃除されないデットゾーンが存在している部屋だというのに、せめて見える所の埃の塊だけでもなんとかして欲しいと思う。
―追加で一つ、白くなることも間違いなし。


はだけたシャツ。
鼻の先の空気は淀んでいるし肌寒い。
授業中だからこその静けさが湛えられた室内での秘め事は、何時も少しばかりの緊張と高揚をもたらす。

掴まれた顎が上げられれ、そう導いた白石の望むように唇が食まれる。びり、と背を走る信号。
迫る色素の薄い瞳を見据え、絡む視線を投げ返す。――まるで反らした方が負けとでも言うように。
捕食関係に等しいこの関係であればそれはあながち間違っていないのかもしれないが、間違っていようとそうでなかろうとどうでも良い。
今は、そう、この視線を反らせない事に変わりは無い。

「目、いっつも開けっ放しやんな。閉じひんの?」
「閉じなあかへんのですか?」
「そないワケやないけど俺止まらんくなるで」
「変態」

吐いた途端、ぐ、と頭上に一つに纏められた腕に爪が食い込む。
机に更に押さえ付けられ、反らされた背骨が軋んだ悲鳴を上げた。

「……痛」

そう呟く財前の歪んだ顔を満足そうに見やり、白石は引かれた顎を再び捉えた。
くちゅ、
卑猥な粘着質の水音が起つ。
白石の舌は弧を描くようにあかい唇を舐める。 それに答えて財前が薄く口を開けば、その侵入は簡単に許される。
口腔内を隈なく動き、絡まる、熱い舌。
角度を、深さを変えて続くそれに、財前の口端からは つ、と交じった唾液が一筋垂れた。

息苦しいくらいの濃厚なそれは、いとも簡単に財前を追い詰めた。
耐えるようにきつく降ろした瞼の裏に光る白。
脳に、酸素が足りない。
――そう、訴える色ばかりが、脳内を占めはじめる。

まるでゆっくりと首を絞められていくような優しいキス。
息は辛うじてできても、血管が絞められて酸素が行き届かない あの時に酷似した感覚。
指先がびりびりと痺れ、苦しいのか重いのかよく分からなくなる。
欲しいのは酸素?――それとも開放だろうか。分からない、分からない。


ひゅ、と枯渇した喉が鳴り、混乱した世界が、一瞬でぱっと鮮明になる。

離れた唇。
長くも短くも感じた時間は、結局はどうだったのか――分かるわけもない疑問を抱えたまま、視線が自然と離れていく唇を追う。
つい先程まで離れろ、と願って居たクセに、まるで名残を惜しむように。

そんな財前の視線を感じてか、心なしか馬鹿にしたように笑む視線のまま。白石は白地を伝う唾液を舐めとると、そのまま鎖骨の辺りを食む。

「……っ、ぁ…」

ぎゅ、と噛み締めた歯列の隙間から漏れた声。

(大丈夫や、教室までは届かへん)

言い聞かせるように心の中で呟いて、再び来る快楽の波に唇を咬む。
唇が切れて鉄の味がしたが、気にしなかった。

「そうそう、ちゃぁんと声殺さんと皆に聞こえてまうで?」

上がった声を寧ろ楽しそうに、そして手を休める事はせずに。 こんな時ですら結局この人は何時も余裕で。 ペースを崩されてばかりだと思うと財前は苛立ちにも似た感情を覚えた。
きっとそれは羞恥だったのだが、感情の起伏に乏しい財前がそれを知る由もない。
これまでの彼は、彼の感情は、怒りと呆れと見下すものしか無かったのだ。

そんな感情ですら付け焼刃、結局の所一切の感情を持てることを放棄してきた彼だからこその戸惑い。
そしてそんな彼だったからこそ、白石は興味を覚えたのだろう。

白石に言わせれば、彼は、過去の白石に似ていた。

今も似た部分は多く、例えば周りに一線を引く所。例えば、自分は何処かが欠落していると分かっていて何もしない所。
違いといえば、上辺をどう見せるかと、理解者が居るかどうかという点くらいのものだ。
それだけでも大分違うのだが、やはり本質的には似ていた。


まるで頭の中・記憶の中の過去の自分を責めるように白石は財前を手酷く扱う。
そしてそれを分かっている上で財前はこの関係を自ら切ろうとはしない。

まるで麻薬のように。
寧ろ自分を壊さない為の精神安定剤のように。

何度も何度も開放を願いこそすれ、それを踏み切れずに。


唯ずるずると続くだけの関係を、まるで大切な取り決めのように。




情事の後、一人きりの室内。 とうの昔に此処を後にした白石の残した熱も、消え失せて。
やはり自分は独りなのだと突きつけられたような薄暗い午後。

ふと気付けば食い込んでいた爪が手首の薄い皮膚を破っていたらしい。
血が一筋、溢れていた。




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