揺れるかんざしと心



揺れるかんざしと心




戌の刻を少し回った頃。
千歳は縁側に腰掛け、月明かりが差し込む庭をぼんやりと眺めていた。
夏ももうすぐ終わるというこの時期、夜は涼しくて過ごし易い。夜空に雲は見当たらず、三日月といっぱ
いの星が辺りを照らしていた。
恐ろしい程に美しい夜空だが、千歳の表情は明るいとは言い難い。どちらかというと物憂げで、瞳には哀
しみが色濃く表れている。眼帯の奥の傷がずきりと疼き、千歳は顔を顰めて眼帯の上から目を押さえた。
「桔平……」
もう二度と会うことのない、親友の名前を口にしてみる。もう見えない右眼の瞼の裏に、彼の姿が映る気がした。





ふと、千歳は帯に差してある日本刀を握った。僅かだが廊下を歩く足音がして、しかもこちらに近付いて
くる。侍である彼の性質から、気配を感じることなど容易なことだった。
しかし、人物を確認すると、千歳は緊張させていた顔を少し緩めた。日本刀から手を離し、小さく唇を開いた。
「光、暗い中一人で歩いたらいかんよ。危なかけんね」
「すんません。そやけど、千里さんが縁側に座っとるんが見えたさかい」
廊下の角を曲がって現れた光は、苦笑いを浮かべて言った。彼女の手には小さな包みと猪口、それから焼
酎の瓶がある。
二人は恋人ではなかったが、周囲からそう思われても可笑しくないくらいに打ち解けていて、仲が良い。
千歳が屋敷にやって来た最初の頃は、光は寧ろ怯えて近付こうともしなかった。だが、少し前から彼女は
自分から話し掛けてくるようになり、内緒で酒や茶菓子などを千歳に持って来たりした。
千歳は光の真意を理解することはまだ出来ていないが、だからといって問い詰めるような真似はしたくな
かった。光がもう自分に完全に怯えていないという確信もないし、何より彼女はとても純粋で弱い。少し
でも乱暴な真似をすれば、彼女は再び自分から距離を置いてしまうのは確実なのだ。
そのため、千歳は想いを告げることを躊躇っていた。そうなれば、自分の過去の話―――『人斬り』であった
という事実を話さなければならない。彼女が過去を知ってしまった時、この関係は……そんなこと、想像さえ
したくなかった。





光が断って歩み寄ってきて、そっと千歳の隣に腰を下ろす。千歳も座り直して、少しだけ近付いた。
「どうぞ」
「ん、あんがとな」
猪口を受け取り、光が瓶から酒を注ぐのを眺める。焼酎は焼酎でも、千歳が好きな芋焼酎だった。
くい、と酒を飲むと、香りが口の中に広がる。飲み干して一息吐くと、光がくすりと笑った。いつも着け
ている折鶴のかんざしが、微かに揺れている。
「飲むん早いですね、御疲れですか?」
「ん?ああ、ちょっとだけじゃけど」
光が包みを開けながら尋ねると、千歳は少し笑って言う。本当は、理由はそれだけではないが、ここでは
言う必要はないだろう。
自分で酒を注ぎ、今度は舐めるように飲んでいく。光はその隣で、持って来た包みをあけていた。中身は
餡で包み込んである団子で、光がよく行く菓子屋のものだった。
一本ずつ手に取り、三日月を眺めながら口に運ぶ。月見の時期にはいささか早かったが、終わりかけとは
いえ夏の夜にしては風流であった。
「綺麗な三日月ですね……。ウチ、満月より三日月の方が好きなんです。何や分からへんけど、神秘的で」
「そう言われてみればそうじゃの。ばってん、俺はやっぱり満月の方が好きたい」
三日月には哀しい思い出があるから、そう言いかけて、寸前で留まる。早くも、この穏やかな雰囲気を壊
してしまうところだった。
ずきり。また眼帯の奥が痛みを訴える。
団子を包みに一旦置いて、眼帯の位置を直す。これで痛みがどうなるものでもないが、少しの気休め程度
にはなってくれる。
傷が痛むたびに、あの日のことを思い出してしまいそうで、一刻も早く痛みを誤魔化したかったのだ。





「……千里さん、一つ訊いてもええですか?」
その様子を見ていた光が、少し顔を緊張させて千歳に言った。千歳は眼帯から手を離し、ゆっくりとそ
ちらを振り向いた。
「ん、何ね?」
「あの、答えたくなかったら、無理に答えんでええですけど……」
そう光は言い淀んで、少しの間躊躇ってから、千歳の瞳を見つめた。
「……眼帯をしとるんは、何でですか?大怪我やっていうんは分かるんですけど、何で千里さんがそな
いな怪我したんかなって、前から気になっとったんです」
「…………」
何か言いづらいことだとは予想していたが、まさかそんなことを尋ねられるなんて。千歳は呆然として
光を見つめ、それからすっと目を伏せた。
ここで全てを話したら、光はどんな反応を示すのだろう。
やはり千歳を恐れ、ここから逃げてしまうだろうか。それとも、千歳を受け入れ、慰めてくれるだろうか。
どちらにしても、いずれ光には話さなければいけない。千歳は、拳を握り締め、決心した。
「……俺は、その質問に答えてもよかち思うとる。ばってん、こん話聞いたら、お前は俺んこつ怖がる
かも知れん……それでも聞く覚悟があるんなら、俺は全部話すばい」
千歳が真っ直ぐに光を見つめて言うと、彼女が小さく息を飲むのを感じた。黒曜石の瞳は少し不安げに
揺れていたが、光は首を縦に振った。
「大丈夫です……聞いて後悔するかも知れへんけど、それでもウチは千里さんのこと知りたいんです。
教えて、下さい」
小さく、だがはっきりとした声で光は言った。千歳は微かに頷き、庭の方を向いた。
とくとく、猪口に酒を注ぎ、一気に煽る。焼け付くような液体が喉を流れた後、千歳は静かに語り出した。





千歳は、元々肥後の国の出身であった。侍の家系のせいか、昔から喧嘩でも剣術でも、優れた才能を発
揮していた。幼馴染である橘と、よく出掛けたり稽古をしたりしたものだった。
そして、今から少し前のこと。その日は、今日のような星空で、神秘的な三日月が浮かんでいた。
千歳と橘は、歩いていて急に集団に囲まれてしまった。二人組なのをいいことに、勝てると信じて飛び
出してきたのだろう。
その気はなかったが、相手が既に抜刀していたので、二人も刀を抜いた。そして、斬り合いが始まった。
負けたことなどない二人だったが、その時は分が悪過ぎた。立ち回っても敵は多く残っていて、殺さな
いように斬ってもきりがなかった。
そして、それが暫く続いた後、千歳は不覚にも倒れていた敵の男に脚を取られてしまった。ぐらりと身
体が傾き、地面に倒れそうになった。
次の瞬間、右眼に激痛が走り、視界が真っ赤に染まった。一瞬の隙をついた敵が、千歳の眼を斬りつけたのだ。
千歳はよろけたが、何とか倒れずに済んだ。だが、右眼の傷は相当酷く、真っ赤な血が絶え間なく流れ
ていく。眼を開くことさえ出来ず、千歳は荒い息を吐いた。そのせいで、死角から先程の敵が襲おうと
していることに、全く気付けなかった。





「……気付いた時には、もう桔平は地面に倒れとったとよ。身体ん周りが、血で染まっとったばい」





千歳がようやく視界に映したものは、地面に倒れる親友の姿だった。鮮やかな金色の髪が血溜まりに
落ち、紅くなってゆく。
千歳を庇った橘が、代わりに斬られたのだった。
そして、また我に返った時には、既にそこに立っているのは千歳ただ一人だった。刀と衣服は、血塗
れになっていた。
そっと眼に触れてみると、眼球は潰れていて形も分からなかった。恐らく、一生見えなくなってしまった
のだろうと思った。
千歳の手は、血で真っ赤になっている。それを見てから、千歳は変わった。
後に『人斬り』と呼ばれるようになる、その瞬間だった。





「桔平のためにも生きようと思うて、ここまでやって来たとよ。途中で襲ってきたヤツは、全員殺し
てきたばい。……俺は、そげん男やっとよ」
もう一度酒を注ぎ、口を付ける。少し目を伏せて、それから光に向き直った。
すると、光は泣いていた。声を上げず、拭おうともせず、ただぽろぽろと涙を零していた。硝子玉の
ような雫が頬を伝い、膝の上で握っている拳にぽたぽたと落ちていく。
「スマンの、あぎゃん怖か話ばして……俺んことが、怖かとよね」
ぎゅうと胸が締め付けられ、千歳は自嘲気味に言った。泣かせてしまった、その事実が、酷い罪悪感
をもたらす。
きっと、自分に怯えて泣いているのだ。光は弱いから、純粋だから、自分が怖いのだ。そう思った。





「……ちゃいます……千里さんが怖いんと、違うんです」
光はそう言って首を横に振り、ここへ来てようやく涙を拭った。しかし、まだ涙は流れ続けて、光の
頬を濡らしていく。
千歳は、驚きで思わず光を凝視した。自分が怖いのではないというのなら、彼女は何故泣いているの
だろう。
何も言えずにいると、光が再び口を開いた。
「確かに、千里さんが人斬りやったっていうこと聞いた時は、少し怖いな思いました。そやけど……
千里さんは、自分から望んで人斬りになった訳とちゃうって、思うたんです。だって、普段は優しいし、
ウチに気軽に話し掛けてきてくれるし……本当の千里さんはこっちなんやって、気付いたんです」
「……それやったら、何でお前は泣いとっと?」
「……千里さん、めっさ辛かったやろなって」
着物の袖でもう一度涙を拭い、自分の草履の爪先を見つめる。
「ウチなんかが、千里さんの気持ちを全部分かってあげるなんて、無理やって思うてます。そやけど、
千里さんがそない辛い思いしたんやって知ったら、知らんうちに泣いてました」
顔を上げ、千歳を見つめる光の瞳は、綺麗に澄んでいた。怯えも、恐怖も無い、とても綺麗な黒だった。
彼女は、自分のために泣いてくれたのだった。少しでも痛みを分かち合おうと、そのために涙を流したのだった。





「……俺はな、斬りたいと思うて斬ったことなんか、一度もなかと。ばってん、みんな俺んこつ見て、
人斬りって決め付けとった。じゃけん、嫌でも斬らないけんかったばい」
千歳はそっと光の頬に手を添え、まだ涙に濡れているそれを丁寧に拭ってやる。
「ばってん、お前は違ったの……光は、ちゃんと俺んこつ、見てくれとったんじゃね」
そう言って小さく微笑み、光の細い身体を抱き寄せた。胸に顔を埋めさせ、長い腕で包み込むよう
に抱き締めた。
光が、そっと千歳の背中に腕を回してきた。自分と同じ、人間とは思えないほど、細く儚げな腕だった。
「光……好いとぉよ……。ずっと前から、お前んこつ見とったばい……」
千歳がそう囁くと、光は頷いた。すっと顔を上げ、真っ直ぐに濃紺の瞳を見つめた。
「ウチも、千里さんのこと、好きです……。言葉じゃ言えへんくらい、大好きです」
言って、そっと伸びをした。少し冷たくて、柔らかな光の唇が、千歳の鼻先に触れた。
千歳が嬉しそうに微笑むと、光も少し照れくさそうにはにかんだ。その笑顔は幼くて、彼女の小さな身体
に似合っていた。
「あんがとな、光……俺、お前んこと絶対守ってみせるばい。何があっても」
抱き締めながらそう言って、千歳は着物の懐に手を入れる。中から小さな包みを取り出して、広げて見せた。
中に入っていたのは、紅い鞠がぶら下がっているかんざしだった。そっと手に取ると、三日月の光の中に
かんざしが浮かび上がった。
光が着けている折鶴のかんざしを外し、代わりにそのかんざしを光の髪に飾った。それは光の漆黒の髪に
映えて美しく、千歳は満足そうに笑った。
「これ、お前にやるばい。俺は、ずっとお前ん傍におるっていう誓いの印やっとよ」
「……千里さん……おおきに。ホンマに、おおきに……」
光はまた泣きそうになりながらも、満面の笑みで微笑んだ。それは一点の曇りもなく、とても幸せそうな
笑顔だった。
千歳もまた微笑んで、光を強く抱き締める。そして、何かを確かめるように唇を重ね合わせた。





月と星に照らされたかんざしの鞠が、音も立てずに小さく揺れていた。





Fin...





無駄に長くなりました……すみません;;
光は千歳の風貌が怖くて最初は怯えていたんですが、きっかけによって打ち解けたという感じです。
ちなみに、千歳はほぼ一目惚れに近い感じです。
この二人、ホントに幸せになって欲しいですね。
こんなものでよければ、結城さんに捧げます。






結城の戯言。(以下反転)
こここんな素敵なちと光貰っちゃいましたよ奥さん!!?
千歳も光もなんてめんこい…v(鼻血)二人を連れ去りたい気持ちでいっぱいです。
このものっそほのぼのとしていて、全然仲が進まない二人が大好きです。大好きです。(二回)
芹沢さん、相互有難う御座います。そして本当にご馳走様でした…!

…あの、皆さん江戸パロどうですか?一緒にはまりません?(勧誘/コラ)


本当はかんざしの背景写真を入れたかったんですが、イメージに合うものが見つけられず…orz
しつこく探して、見つけたら背景つくかもです…
















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